ラジオを聞いて、楽観的考え方と悲観的考え方を考える

今、NHKラジオ第二「カルチャーラジオ」(日曜日の午後8時~9時放送。再放送は翌週日曜の午前10時~11時)で加藤諦三さんのセミナーが放送されています。

タイトル 加藤諦三の幸福論 何が人間を幸福にするのか

全4回のセミナーで、今度の日曜日の放送が最終回です。

僕は若い頃から加藤さんの著書を読んでいて、人間の心理についての考察がとても深く、実践しようとは思うのですが、それがなかなか難しい。

「言うは易し、行なうは難し」で今日まで生きてきたのですが、ラジオを聞いて、久しぶりに加藤さんの考えに触れて、非常にすばらしいと思い、自分自身の備忘録として、ここに書きとめます。

物事の心理的解釈

人は日々の生活において、自分の身に起きる出来事(特に対人関係)をその都度その出来事をどのように受け止めるか、分析、解釈し、対応しています。

ちょっと言葉が硬くてすみません。

加藤さんの話によると、その対人関係における心理的解釈において、その解釈を三つに分けて考えることができるということです。

1 その出来事の要因は、外的要因か、内的要因か

外的要因とは、原因は自分以外の外界にあると解釈すること。内的要因とは、原因が自分自身にあると解釈すること。

例えば、人と話していて、相手が突然怒り出したとします。

外的要因で解釈すると、「彼はたぶん、話す前から虫の居所が悪かったのだろう」と解釈します。

内的要因で解釈すると、「私の話した内容で彼は怒ったのだろう」と解釈します。

2 その出来事の要因は、一時的要因か、持続的要因か

これは読んで字のごとく、起こった出来事の原因は一時的なもので、長く続かないと解釈するか、持続的なもので、これからもずっと続く、と解釈することです。

1の例の、人と話していて相手が突然怒り出した時、一時的要因と解釈すると、「今日はたまたま怒ったのだろう。いつもとは違ったのだ」と考えます。

持続的要因と解釈すると、「彼は普段から怒りっぽい人だから」と考えます。

3 その出来事の要因は、限定的要因か、拡大的要因か

これは2と似ているのですが、ちょっと違うということで、1の例で考えると、

人と話していて相手が突然怒り出した時、限定的要因と解釈すると、「僕の話し方が悪かったかな。話す時はもっと気をつけよう」と解釈します。

拡大的要因と解釈すると、「僕って人間が悪いんだろうか」と解釈します。

人は、物事の解釈において、上記の3つ、「内的か外的か」、「一時的か持続的か」、「限定的か拡大的か」が微妙に交錯して解釈しているのだそう。組み合わせとしては8個のパターンが考えられますね。

内的、持続的、拡大的
内的、持続的、限定的
内的、一時的、拡大的
内的、一時的、限定的
外的、持続的、拡大的
外的、持続的、限定的
外的、一時的、拡大的
外的、一時的、限定的

人と話していて、それまで上機嫌だった相手が急に怒ってどこかに行ってしまった、こんな時、物事を一番楽天的に解釈しやすい「外的、一時的、限定的」に解釈する人は、「彼は何かあったのだろう。また仲良くなれるさ」と解釈します。

物事を一番悲観的に考えてしまいやすい「内的、持続的、拡大的」に解釈してしまうと、端的に「俺には魅力がない」と悲観してしまう、ということになるそうです。

ラジオで聞いていた話を思い出しながら書いているので、非常に大雑把な内容になって申し訳ないのですが、楽天的に生きていこうとすると、「外的、一時的、限定的」に解釈するのがよい、ということになるようですね。

昔読んだ自己啓発本では、「全ては自分の責任。雨が降っても自分の責任」と書かれていて、

それは、原因を外界、他人に求めると、「俺はこんなに惨めなのは社会が悪い、あいつが悪い」などと、不平不満、愚痴となって現れてくるから、人のせいにせず、自分に原因を求めろ、といった内容だったと覚えています。

楽天的に生きていくためには「外的」がよいのでしょうが、自分の不幸を「外的」に解釈すると、それはまたちょっとおかしくなっていくような気もします。

学校を卒業して何十年も経ちますが、今も「生き方」を勉強している、ということでしょうか。

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